全て良いように考えてしまう。今後も悲しむことはない

noteでどういうものが多くみられるか少しはわかってきました。おそらく「役に立つ内容」よりも「感情が入ってる内容」の方がいいんじゃないかな。そう思います(菅原の考えですが)。

「役に立つ内容」は「こうやったら儲かりますよ」とかで「感情が入ってる内容」は「私の一番の思い出は〇〇」みたいな感じですかね。多分noteは記事ではなくて日記って考えたほうがいいかもしれません。

ということで「読まれるから書く!」ということでは全くないのですが、いつもやってる自分の思い出を書いていこうかな。それではどうぞ。

悲しいという感情がない

菅原優人という人間は前向きすぎるなーといつも思う。

けど昔からポジティブだったわけではない。

きっかけがある。

幼稚園の時に身近な人を失った。

その時は悲しんでいた記憶がある。「悲しい」という気持ちが結構あったから。

中学の時また身近な人を失った。

この時は幼稚園時代とは違う感情になった。

「悲しい」ではなく「頑張ろう」という気持ちに。

この時に失った人が一番身近にいたからかな。

よくわからないけどとにかく「悲しい」という気持ちは一切なかった。

周りではみんな悲しんでたけど自分は一切悲しくなかった。

数年後また身近にいた人を失った。

さらに「悲しい」という気持ちがなくなった。

人が亡くなるとみんな悲しいと言って泣くんだけど、自分は一切悲しくないし、泣くことはない。

さらに先輩を失った。

どんどん身近にいた人がいなくなっていく。

なんでこんなにいなくなるのだろうか。

この時に「悲しい」という気持ちが完全になくなった。

もう悲しいと思うことはない。

自分は身近にいた人を失いすぎて「悲しい」という感情がなくなったのだろうか。

自分は身近にいた人がいなくなるたびに「この人の分も頑張るしかないだろ」と思ってしまう。

悪いようには考えなくなってしまった。

人が亡くなると「いなくなってしまった。辛い。」という感情にはならない。

こんなことを言うと「それはおかしい」と思われるんだろうな。

けど自分は周りの人がいなくなるたびに自分の力になっている。

いなくなって「自分の心の一部が消えた」とは思わなく、「また自分は成長できる」と思ってしまう。

近くにいた人を失いすぎて「死」というものさえ良いように考えるようになった。

これは良いことなのかわからないけど一つ言えることは「絶対に自分の力になっている」ということ。

「この人の分も頑張る」とか「この人がやりきれなかった分自分はやりきる」とか。

とにかく良いように考えてしまうのだ。

こういう考え方は賛否両論だろうけど他人はどうでも良いと考えてしまう性格なので自分らしくやれば良いと思っている。

自分の力になっているのだから良いように考えていいよね。

なんか感情に入り込みすぎてしまったな。

けどこのぐらい前向きになったからもうほとんど怖いものはないし、今後は目的を達成させるのみ。

本気で行動して本気でNo.1を取りにいく。

見ててくれよ、無理やりにでも最強になるぞ。

菅原優人 / Yuto Sugawara